生きている伝統を現代に繋ぐ


The Continuity of a traditional context. A message from Takano.

はじめに

遡ること1996年のある夕方、拙宅に旧友が集まり酒を酌み交わした時のこと。
「新建築、新建築と言うけど、むしろ旧建築じゃあないか」と語りあった記憶がある。それ以来、世間では公認?されていない言葉「旧建築」は、なじみ深い「古民家」「新建築」に圧倒され、静かに潜行したまま。世間にはもちろん旧建築家協会はないし、会員、実績も不明。市民権とは無縁のまま休眠状態。以来20年近くたった2015年現在まで、なんとこの言葉に洗脳されていた状態をあらためて自覚。このメッセージでどこまで伝えられるか、不安ながら記すことにいたしました。

印旛村の1988年。田園風景に見捨てられ廃屋化した農民建築がありました。それは記憶から消え去ろうとする日本の伝統的なすまいの無残な姿でした。再生を想い図面を描き、デザインを吹きこみました。その再生した古民家は現在も私の仕事場として生きています。伝統風土が育んできた建築や環境に私たちが丁寧に手を差しのべることができれば、受け継いでゆくにふさわしい新鮮な価値を生みだせることを知りました。以来私の仕事の基本に『生きている伝統を現代、未来に繋ぐ』ことにおいています。
すでに「印旛村」の名はありませんが、草花や田んぼにかまれ四季の移ろいが流れる穏やかな里。デザインの探求に飽きることなく専念できるそんな居場所で、時には信頼しあえる仲間の力を借りながら、ひとりで仕事をしています。

見捨てられ廃屋化した農民建築

メッセージ ジャパネスク

●ジャパネスク-日本的なもの

ジャパネスクは日本的、日本風といった意味として広く使われています。似た言葉のジャポニスムJaponisme(仏語)は、かつて日本の浮世絵や琳派等の絵画や美術工芸品が19世紀後半に海を渡った際、主にフランスでの流行語と言えそうです。わたしたちの明治時代は欧米文化の積極的導入がなされ、特に官・民による主要な建築物にその傾倒ぶりを見ることができます。このような現象は、大正から戦前にかけて住宅も含め、伝統様式から国際様式へ、工業化による近代工法への転換が進展し、近現代のデザイン指標の主流なりました。それまで永く継承され、歴史的に親しまれていた木造建築における日本的伝統が衰退しました。しかし現代日本の山里には少数とはいえ、かなり伝統民家が残り住み継がれています。それらは次世代にも対応できる貴重な住宅資産となるでしょう。
「ジャパネスク」という概念を無限定に広げると、文化現象まで含めた多種多様な内容になってしまいます。ここでは伝統的建築物における特質性に限定しています。それらには、仕口や継ぎ手などの「伝統木造の技法」、土壁や漆喰、和紙などの「日本素材の性能と美」、間仕切りや土間などの「機能性や快適性」、杉、ひのきなどの「地域風土と資源」などがあり、そのあり方を解きほぐし、日本らしさを生かしたいと思います。


メッセージ デザインの自然体

●自然との共生と制御

私たちは歴史的集落、町並みとして少数、小領域ですが宿場町、城下町、農村・漁村集落等が保存・継承されています。特に農山漁村では「自然風土」による力が大きな影響力をもっていると考えます。これらの集落では自然地理や気候、建築資源等の条件を踏まえながら、生活機能に立脚した家づくりの在り方に出会うことができます。立地環境と時間の流れの中で、それぞれの家屋の相互の関係/規範をもとに、地場の素材を活用し、ことさら現代のように先端的な「かたち/デザイン」を主張することなく、自然体で造られてきたことが読み取れます。
ここで新潟県糸魚川市の筒石漁村と香川県多度津町の高見島の集落をあげてみます。筒石漁村は海岸傾斜地の狭小な平坦部に形成された漁家の高密度集落です。4m程の生活路を挟んで浜と山の家並み空間に分かれ、総三階建ての木造民家が数多く密集し、生活路にそって細長く連坦しています。また高見島の浦地区は島の南斜面につくられた漁村集落です。集落景観を特徴づける石垣は、大半が地元産の石材の乱積みであり、経年変化になじむ美しい自然素材が生きています。自然地形や気象条件などに対応しながら徐々に造られた職住一体型の居住環境をつくりました。これらの集落では、自然の制御と共生のバランスを工夫し、生活システムの合理に由来する作法を家づくりに見ることができます。50年100年と継承するための家屋には、移ろいゆく流行りの感覚に翻弄されず、蓄積されてきた伝統的な知見を踏まえ、そこに現代の手法や論理を少し挿入することを原則にしたいと思います。


メッセージ 実力派の風土建築

●歴史風土がつくる資本

ここでの「風土」とは、主にその土地の自然地理的、気候的、資源的要素など環境的な内容を指しています。そのような背景を濃密に反映し、形成されてきた建築や集落を「風土建築」としています。この風土建築は、同時にその地の歴史に関係し、一定の規範に従いながら、自然地理的、気候的等の環境条件を基盤に形づくられてきたと考えています。
海外の伝統的集落に眼を転じてみます。ギリシャのキクラデス諸島には、大小約54の島々が美しい群青色のエーゲ海に散在しています。その島嶼部の南端に位置するサントリーニ島のイアの集落では、カルデラ状の外輪山の最北部の断崖状斜面に洞窟住居[Cave house]が群をなし広がっています。これらの住居群の前史は16世紀から17世紀ごろ船主や船員たちの住宅として形成されてきたとされます。1956年の大地震の災害後、住居移転や修復再生等を経て、現在は民宿機能にも転用され、夏には滞在型リゾート地として欧州からの多くの観光客で賑わいます。サントリーニ島には、カルデラの特徴的な地形、景観美の眺望性、清澄な空、透明なブルーの海、陽に輝く白い住居群、曲がりくねる3次元の空間、繰り返し塗られる石灰の清潔感、地場の自然石の利用、車無用の静かな小道、変わりつつも「男と女」の修理の作業分担。さらに波打ち際で美しい日没のシーンを背景に、獲りたての魚介類と地場産のワインを満喫する。非日常という文脈が資本となって経済活動が活性化しています。2015年現在、ギリシャは国家的な経済危機が懸念されていますが、EU統合前の独自通貨ドラクマの時代であれば、観光客にとって滞在費は安く費用対効果は申し分がないかもしれません。ともかく、ここは滞在型の観光資本のテキストのようです。このような歴史風土が育んできた旧建築物がぎっしり詰まった環境は、まさに地球人に価値が称賛され、共有されている実力派。自然力と伝統性が共同して美を生産するしくみを継承することを大切にしたいと考えます。

自然素材を捨て工業化建築 都市への集中化画像

おわりに

私は伝統や風土がつくりあげた実在する対象の調査・研究作業の一方で、デザイン現場での実践作業を重ねてきました。このふたつの作業はメビウスの輪に表と裏の境界がないように一体化されています。そんな自分流の方法でたどり着いた地点の力が役に立てばと想いつつ歩いています。